安心を感じる、そんな1日だった。
君たちといるとき、自分はちょっぴり安心し、少し、ほんの少しだけ、元気になる。
こんなことをいうのは、照れくさく、こっぱずかしいが、君たちと同じ時間、同じ記憶の中にいれることに、喜びを感じる。
君たちは、自分とは、考え方、生き方、生きてきた道のり、感性が全く違う。
お世辞でも、自分たちは似ているね、など言えるわけがない。
全く違う分類の、人間たちだ。
6人という小さな世界。
その意識が強いだけなのかもしれない。
それぞれ、みんなが、その意識、その感覚があることで、こんな錯覚をしているだけなのかもしれない。
6人しかいないから、こんな小さな世界だから、
同じ人間、人類がいた、という単純なはずの喜びが、
複雑にまじりあい、大きな世界の中で、選ばれたこの6人と一緒にいることの喜び、と錯覚しているのだろう。
もしこの喜びが、錯覚なのだとしても、自分の記憶の中では、喜びとして存在し続ける。
今日は、君たちからの安心感に、包まれていた。
やめてもいいよ、休んじゃっていいよ、がんばらなくていいよ、
君たちは、こんな言葉を、乱暴に、乱雑に、使ったりなんてしない。
ただ自分の話を聞き入れ、そんな大したことないよ、と全身で伝えるように、黙ったまま、お酒を飲み、ごはんを食べる。
たとえ話の内容が、どれだけ重く、面白くないものでも。
ふと、あ、また、また自分ばかりが話している。
くだらない話を聞かせ、ごはんを台無しにしている。
そう思った瞬間に、君たちは、自分の話に共感の言葉を重ね、自分以上の勢いで怒りをあらわにする。
いや、そうやって演技を重ねているのかもしれない。
そう思いつつも、自分は再び気持ちよくなり、また口元が緩みだす。
こんなことを繰り返し続けるくらいなら、もういっそ、ずっと話せないほどに、口に何かを詰めておきたい。
この気持ちが、即座に行動に現れだす。
なんて単純で、魅力のない脳をしているのだろう。
思いのままに、照れているような桃色と、晴れの日の雲のように白いなにかを、一気に吸い込む。
今日の自分には、あの飲み物か食べ物か、よくわからないなにかが、そうみえた。
あまいことだけは、たしかに感じた。
その先に、甘酸っぱいなにかがいることも、少し、でも確かに感じた。
あまいものを口にしたい気分ではなかったのに。
でも今思えば、あまいなにかを、この時に摂取して正解だったとも思う。
いきなりのあまさに、頭がくらくらとし、もうどうでもよくなってきた。
その途端、これ、あまくておいしいね、と訳の分からない、素っ頓狂な言葉を発する。
すると君たちは、ひとくちモノを口にし、体に入れた後に、また少し間をあけて、そうだね、と共感するのであった。
冷たいはずだった、よくわからないなにかは、自分の中で、あたたかくなっていく。
今の自分に、少しある、片隅にちょこんとある、安心感の中に、君たちはいる。
この中から、消えないように、この中にいる君たちには、ソトにいかないでほしいし、ここをソトにかえないでほしい。
こうして自分はまた、自分に期待し、自分に力を与えるのではなく、相手に期待し、君たちに願うのだった。