記憶の中の生活

思い出と今

すてきな色

安心を感じる、そんな1日だった。

 

君たちといるとき、自分はちょっぴり安心し、少し、ほんの少しだけ、元気になる。

 

こんなことをいうのは、照れくさく、こっぱずかしいが、君たちと同じ時間、同じ記憶の中にいれることに、喜びを感じる。

 

君たちは、自分とは、考え方、生き方、生きてきた道のり、感性が全く違う。

お世辞でも、自分たちは似ているね、など言えるわけがない。

全く違う分類の、人間たちだ。

 

6人という小さな世界。

 

その意識が強いだけなのかもしれない。

それぞれ、みんなが、その意識、その感覚があることで、こんな錯覚をしているだけなのかもしれない。

 

6人しかいないから、こんな小さな世界だから、

同じ人間、人類がいた、という単純なはずの喜びが、

複雑にまじりあい、大きな世界の中で、選ばれたこの6人と一緒にいることの喜び、と錯覚しているのだろう。

 

もしこの喜びが、錯覚なのだとしても、自分の記憶の中では、喜びとして存在し続ける。

 

今日は、君たちからの安心感に、包まれていた。

 

やめてもいいよ、休んじゃっていいよ、がんばらなくていいよ、

 

君たちは、こんな言葉を、乱暴に、乱雑に、使ったりなんてしない。

 

ただ自分の話を聞き入れ、そんな大したことないよ、と全身で伝えるように、黙ったまま、お酒を飲み、ごはんを食べる。

たとえ話の内容が、どれだけ重く、面白くないものでも。

 

ふと、あ、また、また自分ばかりが話している。

くだらない話を聞かせ、ごはんを台無しにしている。

 

そう思った瞬間に、君たちは、自分の話に共感の言葉を重ね、自分以上の勢いで怒りをあらわにする。

いや、そうやって演技を重ねているのかもしれない。

 

そう思いつつも、自分は再び気持ちよくなり、また口元が緩みだす。

 

こんなことを繰り返し続けるくらいなら、もういっそ、ずっと話せないほどに、口に何かを詰めておきたい。

 

この気持ちが、即座に行動に現れだす。

なんて単純で、魅力のない脳をしているのだろう。

 

思いのままに、照れているような桃色と、晴れの日の雲のように白いなにかを、一気に吸い込む。

今日の自分には、あの飲み物か食べ物か、よくわからないなにかが、そうみえた。

 

f:id:umitsuk:20240510002741j:image

 

あまいことだけは、たしかに感じた。

その先に、甘酸っぱいなにかがいることも、少し、でも確かに感じた。

 

あまいものを口にしたい気分ではなかったのに。

でも今思えば、あまいなにかを、この時に摂取して正解だったとも思う。

 

いきなりのあまさに、頭がくらくらとし、もうどうでもよくなってきた。

 

その途端、これ、あまくておいしいね、と訳の分からない、素っ頓狂な言葉を発する。

 

すると君たちは、ひとくちモノを口にし、体に入れた後に、また少し間をあけて、そうだね、と共感するのであった。

 

冷たいはずだった、よくわからないなにかは、自分の中で、あたたかくなっていく。

 

今の自分に、少しある、片隅にちょこんとある、安心感の中に、君たちはいる。

 

この中から、消えないように、この中にいる君たちには、ソトにいかないでほしいし、ここをソトにかえないでほしい。

 

こうして自分はまた、自分に期待し、自分に力を与えるのではなく、相手に期待し、君たちに願うのだった。